jigen033’s blog

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Schooldays 再び

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このような時間になってまで、パソコンとお付き合いをしているのはなぜだろう。

ここのところ本当に体調不良だった。診療日に遅れて入れないから(その日は造影CT検査の予約があった)、無理を承知で徹夜した。検査は待ち時間一時間、検査は10分。

その後がいけない。なかなか眠れず、翌朝は昼過ぎまで起きられない。食事も適当で、パンでも食べようとしたら見事にカビが生えていた。

気候はやや暑いと思うぐらいで、それでも寒いよりはいい。にもかかわらず、下腹部が正常でない。

抗癌剤の副作用というより、下剤の使い過ぎかもしれない。

 

どうしてここでSchooldaysが登場するのか。それはエンディングが凄惨だからだ。人の気持ちを弄ぶ輩への罪と罰

いろんな感が方があるのは知っているが、余命一年、治療がうまくいっても生存率は一桁の5年後でしかない。がん細胞が血流とリンパを通じて、どんどん転移している。今のところは「体調不良」とか「睡眠障害」という建前で自分自身を胡麻化しているが、死期が限定的であることが分かっていて、食事も自分ではできない、トイレにも介助がいる、という状態がいずれ来る。

治療で回復した事例はあるが、必ずしも完治したとは言えない。再発に怯えながらの日々を過ごすことになる。

どーせ、人間はいつかは死ぬのだ、永遠の命などない。不老不死が幻想であることは古代の中国やエジプトの皇帝が自ら実証している。権力も財産も、死期が訪れれば何の価値もない。

と、どこかで言わなければならないなと思っていたことを、上梓する。

その人の人格や良心によって、生死が分類されるわけではない。しかし、死の宣告というものは、ボディブローのように持続的な効果がある。どうせ苦しむのなら自殺したほうがいいかもしれない、という誘惑に引きずり込まれそうになる。香港に行って武装警察と対峙してやるほうが、うじうじと自宅にこもって愚痴を溢しているよりはよっぽどましだろう。

もっともっと、積極的に死に向き合わなければならない。それと共に、せめてもの救いとして、快楽に耽りたい。矛盾しているが、どちらも嘘ではないのだ。

今夜も結局徹夜になりそうだ。眠剤はすでに服用しているが、その効果は一向に訪れない。過眠と不眠の交差点は、どこまで続くのだろう。

昔の武士道精神なら、切腹ものだな。しかし三島由紀夫に従ってくれた盾の会のような仲間はいない。同調してくれる医療関係者はいるが、それは職責だからそういう声をかけてくれる。

そんな僕でもしなければならないことは山積しているのだが、後回し後回し。やはり、一人は辛い。少しでもいいから共鳴してくれる、無垢な思いの友人やパートナーがいてほしいと切実に思う。

段々と、人間性も劣化してきているに違いない。精神的な免疫力も低下しているのではないだろうか。

もう一度、気持ちを切り替えて前向きに生きることへの執念を手繰り寄せたいものだなあ。せめて老齢年金ぐらいは貰いたいぞ。55歳が遠い。

 

気持ちが乱れているので、推敲はできない。ブロガーの中に、意をくみ取ってくれる方がおられれば、そんなに嬉しいことはない。