jigen033’s blog

精神障害者も語ってみたい⇒⇒⇒食道がんへの道

ライ麦畑でつかまえて

長期戦でも、勝てる試合なら参加する望ましさはあるけれど。
半月ぶりの抗がん剤治療を、明日に控えている。
天候は曇り勝ちらしいが、気温はぐっと下がるようだ。
尤も病院の中に入ってしまえば、春夏秋冬温度調節がなされているから、寒い中を待たされる心配はない。
それよりも、最近気になっているのが、爪の部分の内出血と神経の歪み。痛いというより、指先に力が入らないのだ。これが抗がん剤の副作用なのかどうか。この副作用というやつは、どうやら身体的に弱っている個所を狙っているのかと思うように、鋭く登場するように思えてならない。

しかし抗がん剤治療っていつまで続くんだろう。もちろん想定内で治癒すれば、もう点滴とはおさらばだし、病院に通うこともなくなる。ただ、ステージⅠ程度であれば、一度の手術ですべてが済んでしまう可能性もあるらしいが、残念ながらステージⅣとなると長期戦は約束されたようなものではないのだろうか。
健康保険の範囲内で、高額療養費の制度を適用されているとはいえ、治療費は一回につき一万円はくだらない。積み重ねてみれば相当な負担になるだろう。
といって、ここで治療を拒否する勇気はない。今後、生身の悪性新生物と対峙して勝てるわけがないからだ。いずれ耐えがたき痛みに対抗しようなど考えられない。まっ、お金の心配なら、まだ何とかなりそうなので、短期的に結論を導かなくてもいい。最後は生保に頼るしかない。

ところで胃がんは特に特徴的のようだけれど、胃を切除する外科治療が多いからか、食欲が減退し体重も数十キロ単位で落ちてしまうという。これはダイエットではないので、不健康的に体重と体力をはく奪するらしい。そうすると免疫力が落ちてしまい、再発のリスクが高まる。消化器系なので、似たような現象が襲ってきても不思議ではないはず。

いっそのこと画期的な治療薬が開発されて、しかし治る見込みは100%か0%で、運に任せるという方法はないのかなあ。(ないだろうね。厚労省がそんな新薬を承認するはずがない)
それほど気持ちの落ち込みはないが、日常的に鬱陶しい気分がずーと続くというのは余り精神衛生的によくないぞ。

なーんかいいこと、ないかなあ。

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近頃、ブログの投稿ペースが恐ろしく低下している。ブログなんてプライベートなつぶやきなのだから、投稿の高低に問題があるわけじゃないはず(芸能人じゃあるまいし)。

でも、生活の一部のように書き書きしていた当時と比較すれば、まさにトーンダウンだ。書きたいことがないわけではない、ブログに飽きたわけでもない、他に大きな楽しみに惹かれてしまって時間的に制約されてしまっているわけ、なんてあるはずはありません。

端的に言えば、気力減退、というところなのかな。末期がんになろうが、京アニの事件に巻き込まれようが、豪雨水害で途方に暮れるしかないとしても、生死の境目はほんの「秒速25センチ」程度の差しかないのかもしれないのだ。

単純に気力が不足しているのなら、精力剤でも飲んだほうがいい。数百円で元気溌剌になれるのだから。

でも、問屋はそうは卸さない、というのが、人生の機微というものなのだろう。

医師から、うつ病患者が、末期がんの宣告をされた事実には変わりない。神や仏は不公平なのだ。いや、それとも生まれてこなかったほうがよかったといいたいのかもしれない。残酷だなあ。

最近、ニット帽を被るようにした。季節柄、違和感はない。が、鏡に映った容姿容貌を見て驚いた。この数か月で老境の域に達した奴が、鏡の前にいる。鬱がそうさせているのか、がんの進行が老齢化を進行させているのか、それとも抗がん剤の副作用が如実に表れたのかはわからない。どれもそうであるような気がする。

いずれにしても、体力の衰えは否定できないものがある。エスカレーターでは立ち止まり、エレベーターも使えれば使う。階段の昇りが苦痛となり、下りは転倒のリスクを覚えるからだ。情けなく格好悪いが、そうも言ってられなくなってきたのか。

でも、もっと時間は欲しいな。贅沢で我儘なのは、病人の特権だと思っています。

一進一退。

体調のほどは、大きな変化はなく、一進一退というところ。ただ、癌の治療に意識が専念できなくさせるように、睡眠障害がたびたび襲来する。

体調が割るいのは、抗がん剤の副作用なのか、睡眠の乱れから来るものか、本人もよく分からない。

微熱が出たり、胃部に不快感が生じることがあって、それは薬で抑制しているが、やはり健常とは言えない。

国立がんセンターの資料によれば、ステージⅣにおける食道がんの5年後の生存率は12%程度。何とも心細い。よく話題にはなるが、胃がんや肺がんはもっと生存率は高い(つまり、治癒の可能性が高いということだ)。これは早期発見ができなかったことに理由はあるけれど、自覚症状もないのに精密検査を受検することは稀だろう。

今のところは、健常者と変わりのない一人暮らしが静かに続いている。しかしいずれは大きな陥穽(落とし穴)に足を滑らせることになる。次第に体力は弱ってくるだろうし、食事も喉を通さなくなる。だったらやはり誰の介助も要することなく、できるだけ好きなことに生活のほとんどの時間と労力をつぎ込んでおくほうがいいのかなあ。

単純計算すると、僕が老齢年金を受け取る可能性はかなり低い。なので、身体障害年金を視野に入れて、精神障害との合わせ技で1級を申請しようかと考えたりしている。

まぁ、資産があるので、それを全額取り崩す前に万策が尽きることになるのかもしれない。でもまぁ12%の可能性は一応あるのだ。まだ絶望するには早いだろう。

しかしいよいよの段階になったとき、緩和ケアを受け入れるのか、あくまで自宅療養に拘るのか、まだ決定してないが、親族からすれば、緩和ケア病棟でおとなしくしてくれているほうが助かるだろうな。最悪の事態背を迎えても、葬儀の段取りなどは予め具体的に病院側と葬祭業者と打ち合わせておけばいいのだから。

抗癌剤の功罪

昨日、抗癌剤適中に病院へ。

採血し、一時間後に、専用のセンターに到着。

若干、CTの造影検査から見ると、抑制がかかっているようだ。

無論、回復したという意味ではない。

抗癌剤というものは100種類ぐらい開発されているらしく、部位によって使い分けられている。より患者に副作用が生じないように癌の活動を抑え込む。

そう、抑制作用しかないというのが実体なのだ。だから、抗癌剤で治療➡回復(癌の撲滅)ということはあり得ない。端的に言えば、延命治療に過ぎない。そこが外科的治療や放射線照射と完全に違うところ。

余命宣告を引き延ばしているだけ、といってもいい。

だからある程度の抗癌剤治療を続けても、効果が現れなければ、中断もしくは中止するの一つの選択肢だ。それは医者が決めることではなく、患者もしくはその家族に帰属する。

抗癌剤は異物なので、中止することによって回復の兆しがみられることもある。正常な細胞が抗癌剤からの攻撃を免れることになるからだ。

さて、その時期はいつ来るのだろう?

生命保険・医療保険は加入するべからず

以前にも書ひつようかひつようでないかいたことがあったような気がするけれど、僕は話題のかんぽのみならず、共済や民間の生命保険・医療保険への門が閉ざされている。

理由は簡単だ。保険は健常者が万が一に備えて結果的に事後にならなと必要か必要でないかわからないけれど、政府機関だけの援助では治療も受けられなくなったら困るので、過分所得の許せる範囲でほけんりょうを払う仕組みになっている。被保険者に、そのくらいの自覚はあるはずだ。

しかし、僕が門前払いを喰らうのは、非健常者であり、端的に言えば加入すればその日のうちに保険金の請求ができる仕組みになってしまうからだ。自殺志望の人間に対して、生命保険会社が契約をするか?

つまり、自立支援医療を受けているということは、通院し治療を受けていることと同義だ。いつ病状が悪化し、そのため入院にでもなれば、保険会社は持ち出しをすることになる。最初からそのような予測が立つ者に対しては、絶対に加入させない。

今日、某ソニー生命が訪問してきて、保険のメリットを並べていたが、僕にできそうなことは保険という商品を使って、遺産相続の控除額を確保することができる、というものだった。現金だけであれば課税対象が広いが、相続税の一部でも保険にしておけば遺族が払う是税額が変わってくる。

まぁ、本人が死んだ後のことなので、あまり熱心に耳を傾ていたとは言えないなあ。

ちなみに保険以外となると信託にも似た性質がある。(投資信託ではないので誤解なきように)

何だか面倒くさくなってきたなあ。死期がいつか分かっておれば、逆算して絵を描くこともできるかもしれないが、残念ながら僕には希死念慮の発想はないので、その手は使えない。

保険会社のサラリーマン様へ、リストラされる前に秘策を教えてはもらえないだろうか。

Schooldays 再び

youtu.be

このような時間になってまで、パソコンとお付き合いをしているのはなぜだろう。

ここのところ本当に体調不良だった。診療日に遅れて入れないから(その日は造影CT検査の予約があった)、無理を承知で徹夜した。検査は待ち時間一時間、検査は10分。

その後がいけない。なかなか眠れず、翌朝は昼過ぎまで起きられない。食事も適当で、パンでも食べようとしたら見事にカビが生えていた。

気候はやや暑いと思うぐらいで、それでも寒いよりはいい。にもかかわらず、下腹部が正常でない。

抗癌剤の副作用というより、下剤の使い過ぎかもしれない。

 

どうしてここでSchooldaysが登場するのか。それはエンディングが凄惨だからだ。人の気持ちを弄ぶ輩への罪と罰。

いろんな感が方があるのは知っているが、余命一年、治療がうまくいっても生存率は一桁の5年後でしかない。がん細胞が血流とリンパを通じて、どんどん転移している。今のところは「体調不良」とか「睡眠障害」という建前で自分自身を胡麻化しているが、死期が限定的であることが分かっていて、食事も自分ではできない、トイレにも介助がいる、という状態がいずれ来る。

治療で回復した事例はあるが、必ずしも完治したとは言えない。再発に怯えながらの日々を過ごすことになる。

どーせ、人間はいつかは死ぬのだ、永遠の命などない。不老不死が幻想であることは古代の中国やエジプトの皇帝が自ら実証している。権力も財産も、死期が訪れれば何の価値もない。

と、どこかで言わなければならないなと思っていたことを、上梓する。

その人の人格や良心によって、生死が分類されるわけではない。しかし、死の宣告というものは、ボディブローのように持続的な効果がある。どうせ苦しむのなら自殺したほうがいいかもしれない、という誘惑に引きずり込まれそうになる。香港に行って武装警察と対峙してやるほうが、うじうじと自宅にこもって愚痴を溢しているよりはよっぽどましだろう。

もっともっと、積極的に死に向き合わなければならない。それと共に、せめてもの救いとして、快楽に耽りたい。矛盾しているが、どちらも嘘ではないのだ。

今夜も結局徹夜になりそうだ。眠剤はすでに服用しているが、その効果は一向に訪れない。過眠と不眠の交差点は、どこまで続くのだろう。

昔の武士道精神なら、切腹ものだな。しかし三島由紀夫に従ってくれた盾の会のような仲間はいない。同調してくれる医療関係者はいるが、それは職責だからそういう声をかけてくれる。

そんな僕でもしなければならないことは山積しているのだが、後回し後回し。やはり、一人は辛い。少しでもいいから共鳴してくれる、無垢な思いの友人やパートナーがいてほしいと切実に思う。

段々と、人間性も劣化してきているに違いない。精神的な免疫力も低下しているのではないだろうか。

もう一度、気持ちを切り替えて前向きに生きることへの執念を手繰り寄せたいものだなあ。せめて老齢年金ぐらいは貰いたいぞ。55歳が遠い。

 

気持ちが乱れているので、推敲はできない。ブロガーの中に、意をくみ取ってくれる方がおられれば、そんなに嬉しいことはない。

過眠!! 過眠!! 過眠!!

起きてみたら、外が薄暗い。少し早めに起きたのだろうか。しかし、早期覚醒で眠剤を大目に飲んだというのに。
そういぶかっていると、勘違いに気づいた。
早朝ではなく、夕方だ。

いくら何でも過剰睡眠。今日はおかげでどこにも行けなかった。こういうときに医療関係の予約を入れてなくてよかったとホッとする。
年間にしてこう言う過剰睡眠が起こる。
が、一部はがんの免疫力の低下が作用しているのかもしれない。
昼過ぎまで寝ることはあっても、夕方5時まで眠り続けるなんて異常だからだ。

今夜は反動で、きっと眠れないに違いない。貫徹の覚悟だ。
しかしまいったなぁ、これでは一日が短すぎる。